リッベントロップ | 世界史の三国同盟秘史の理解ならタカスギ世界史研究所にお任せください。

タカスギ世界史研究所

Blog

2022年12月22日 [世界史の理解]

日独伊三国同盟とリッベントロップ第一話

リッベントロップが1932年までに出会った人や育った環境は当時としては非常に恵まれていたと言えるでしょう。若くしてカナダに渡りドイツワインのビシネスを成功させ、第一次世界大戦直前にはオタワの社交界にも名前が出てくるくらいになっていたし、幼児期や青春期の教育でも恵まれた環境で英語やフランス語などの素養を伸ばしていったようです。のちの駐英大使や外相への昇進が異様に早いこともこのことと関係しているのでしょう。第一次世界大戦での従軍も前線での勤務よりも参謀将校が長く、そこでのちの首相やオーストリア駐在大使になるパーペンらと知り合うことになりました。その後の妻のアネリーゼとの出会いは自分のワインビジネスにドイツ大手のシャンパンメーカーのヘンケルの娘が妻として加わったのですからこれも順風満帆と言えるでしょう。ナチス閣僚で給料以外にこれだけ収入があったのはリッベントロップだけでした。豪華邸宅だけでは満足せず、何とか上流階級の一員になりたくて首相になるパーペンの口利きでウニオンクラップに入会ができましたが、今度はパーペンから用事を頼まれました。それがヒトラーとの出会いとなったのでした

PageTop