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2022年12月30日 [世界史の理解]
日独伊三国同盟とリッベントロップ(5)
第5話はホスバッハ覚書後の侵略政策の実行開始を扱います。ロンドンにおけるリッベントロップ大使のドイツの東欧での覇権と引き換えに大英帝国の存続を認めることにイギリスが乗ってこなかったため、オーストリア、チェコスロバキア、ポーランドへの侵略にイギリスがどう反応するかがポイントとなってきました。チャーチル、イーデン、ヴァンシタートらの反対論もありましたが、西欧全体の反戦主義、ドイツの対ソ防波堤化などから結局ドイツに対して宥和政策が採られることになりました。オーストリアやチェコスロバキアの侵略はもとより、ポーランド侵略に至ってもまだ、奇妙な戦争という形で宥和政策が採られていることに驚きを感じてしまいますが、当時の反社会主義や反戦主義の根強さを当時の時代精神として受け止めることが大切です。ドイツの侵略行為は断じて許されませんが、第一次世界大戦での民族自決主義が対ソ防波堤とされたことの高い代償をヨーロッパ全体が支払うこととなりました。ナチス幹部の中で最も新参者のリッベントロップが他の幹部に認められるために実行した侵略行為への関与と対英強硬策だけでももう引き返すことのできない地点を通り過ぎてしまったのでした。