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[世界史の理解]

2022年12月14日

日独伊三国同盟とリッベントロップ(5)

この日独伊三国同盟とリッベントロップではあえて同盟という単語にAllianceを採用しています。本来なら、TreatyやPactを用いるべきでしょう。日独伊三国同盟とリッベントロップは条約締結とそれに至る交渉過程のみに限定するのではなく、もっと広い意味で同盟をとらえました。第二次世界大戦の著作というと、1944年から1945年までの末期が扱われる場合が多く、特に日本ではその傾向が強いようです。サイパン陥落から本土空襲と降伏までの時期に当たります。この日独伊三国同盟とリッベントロップでは、1936年を重視します。1945年はその当然の帰結と言えるでしょう。1936年は、ニニ六事件、日独防共協定、最後に西安事件があった年ですが、リッベントロップ個人としても、ベルリンオリンピックでのパーティ外交と駐英大使任命と赴任があった年で、英国との対決と絞首台への13階段への道が決定的になった年でもあったわけです。

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  • 既存の組織ではやりにくい横断的な試みができるところ。最初の試みである三国同盟秘史もドイツだけでなくイタリア、日本にもかなり言及。次の試みの慶大専科も世界史と英語が完全に一体化しています。また、現在準備中の孔明コンテストに至っては、外国語も英語だけではないし、勉強面でも理数も扱うし、スポーツもピアノも課題に入ります。