[世界史の理解]
2023年05月01日
リッベントロップと日独伊三国同盟(6)日本海軍武官
陸軍はドイツ統一戦争における対オーストリア戦争におけるケーニッヒグレーツ戦、対フランス戦争におけるスダンの戦いにおけるモルトケ参謀総長の作戦指導による大勝利を受け、日本陸軍が当初より親独的傾向があったのは当然ですが、日本海軍は明治維新期よりイギリスをモデルに発展をしてきたため親英的であった。第二次世界大戦期にも、日独伊三国同盟に最後まで猛反対したのは米内光政、山本五十六、井上成美らの海軍であった。日独伊三国同盟調印時に駐独海軍武官であった横井忠雄は海軍の中で日独伊三国同盟賛成の急先鋒であったため1940年に駐独海軍武官に任命されたが、どういうわけか反ナチス的言動を隠しもせず表明したため、リッベントロップ外相からは大島浩大使を通じて抗議が来るほどであった。この変心はなぜなのか興味あるところで後日取り扱いたい。後任の小島秀雄は『ドイツ小島』と言われるほどのドイツ贔屓。しかし、同じ親独的な大島浩大使とは犬猿の仲で、反ナチスのカナリス提督とは懇意であった。2人とも、おそらくユダヤ人迫害などをドイツで目撃して嫌悪感を抱いたのであろう。2人とも親独であっても反ナチスであったといえよう。