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[世界史の理解]

2023年05月04日

リッベントロップと日独伊三国同盟(8)日本陸軍武官

日本に限らず、多くの国で職業外交官以外の政治任命のアマチュア外交官の活躍が良くも悪くもこの時代に顕著であるが、元々国のことを思う貴族がほとんど無給でやっていたものが19世紀から20世紀にかけて貴族以外にも優秀な人物が登用されるようになった。第二次世界大戦の時期には有効な外交戦略が要求されることになり過去の慣例にとらわれない政治任命の外交官が時代の要請に応えるように登場してきた。日本の大島浩、坂西一良、岡本清福は代表的な例であろう。大島浩のことは『三国同盟秘史』や『リッベントロップ』で度々登場するので割愛するとして、それ以外の2人のことを取り上げたい。2人とも日清日露戦争期に生まれ日本陸軍の発展を目の当たりにして育ったこと、士官学校と陸軍大学時代のドイツ語の成績の良さ、1920年代からドイツ駐在を経験していることなどが共通であるが。世界大恐慌後のナチスの躍進と政権掌握はほとんど予想できず、ドイツへの対応が後手に回ったことに影響した。補佐官、武官時代もドイツの公式発表を本国に報告することに終始したので本国でも次第に信用されなくなった。1943年には坂西中将は太平洋戦争地区に転属、1944年になるとドイツにいても無意味になったので岡本清福もスイスに転勤となった。ドイツの降伏前のイタリアのドイツ軍の降伏交渉の成功とドイツ降伏後の分割占領とフレンスブルク政府否認を受け、岡本清福は国際決済銀行の北村孝治郎、吉村侃経由で後のCIA長官のA.W.ダレスとのソ連抜きでの終戦交渉を進めようとしたが、本国がソ連による終戦交渉を第一にしていたために進捗しなかった。ソ連の対日参戦後になってやっと本国より許可が降りたがもう手遅れであった。日本の無条件降伏の日に岡本清福中将はスイスのチューリッヒの自宅で拳銃自殺した。

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  • 既存の組織ではやりにくい横断的な試みができるところ。最初の試みである三国同盟秘史もドイツだけでなくイタリア、日本にもかなり言及。次の試みの慶大専科も世界史と英語が完全に一体化しています。また、現在準備中の孔明コンテストに至っては、外国語も英語だけではないし、勉強面でも理数も扱うし、スポーツもピアノも課題に入ります。