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[世界史の理解]

2023年07月24日

History of Americo-German relations (2) Dec. 1941

ナチスドイツの行動を見ると計画性と無計画性が同居している。この1941年12月の対米開戦はその典型的なものと言えよう。対米開戦後のOKWのカイテル元帥やヨードル将軍への指示も当初からの計画とは到底考えられないもので、『まずアメリカがどこに戦力を置くかを検討せよ』であった。独ソ開戦時の日本の不参戦を指摘して対米開戦不要を主張することに対して、それでは三国同盟が死文化するとヒトラーは反駁し、自分に言い聞かせるように『日本は2000年間に一度も負けたことがない国なのだ』と日本を持ち上げた。ちなみに、西洋の歴史の知識はある程度あるヒトラーであったが、この言葉から判断すると、日本史の知識は十分とは言えないようだ。『負け』をどう解釈するかにもよるが、戦闘という点では7世紀の白村江の海戦、戦争という点でも豊臣秀吉による朝鮮半島侵略の壬申、丁酉の倭乱が李舜臣提督の活躍により制海権を取れずに失敗していることを知らないようである。ユダヤ人絶滅はマダカスカル島へのユダヤ人移送がイギリスの戦争継続により無理となり、絶滅の方向となったが試行錯誤の末にチクロンBによるものと決定されたのとモスクワ占領失敗がほぼ重なったので計画性と無計画性が同居することになってしまった。ルーズヴェルト政権で最も影響力があったユダヤ人のモーゲンソー財務長官は対独最強硬派でありドイツの農業国化を主張していたが、対米開戦となるとそれの現実化もあり得た。世界征服を断念し第二の目標であるユダヤ人絶滅に目標を転換し、連合軍のベルリン占領との競争となった。

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