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三国同盟秘史

リッベントロップ(第6話)

モスクワ

ゲルマン人居住地域とスラブ人居住地域の境界は中世の初期にはほぼエルベ川であった。ゲルマン人はマグデブルクをはじめ多くの城塞都市を築いた。中世後半からのドイツ人の東方植民運動によりその境界は一部はネマン川を越えバルト海沿いに進みドイツ騎士団領となった。しかし内陸部は西スラブ人のポーランドが長く西はオーデル川から東はリトアニアやベラルーシやウクライナ西部を支配領域とした。この状況が変わるのは、ポーランド国内の選挙王政の採用による封建分裂化、キプチャクハン国からのモスクワ大公国の独立と強大化、ブランデンブルクとプロイセンの同君連合とプロイセン王国成立などによりポーランドが守勢に立たされることとなった。それが三回のポーランド分割となり主要部分はロシア領となり、数度の抵抗運動の失敗によりロシア帝国ポーランド州となってしまった。ワルシャワの中心部にはナポレオン、ウィルソンなど英米仏が友好国だったことを偲ばせる広場があるが、第二次世界大戦前もまた似たような状況だったが、1935年のピウツスキの死までは何とヒトラーと不可侵条約まで結び、ドイツのそれまでの反ポーランド主義をとる歴代の政治家よりもヒトラーを高く買っていた。ナチスよりもソ連を敵対視してたと言えよう。その後を継いだベック外相もミュンヘン会談とチェコ保護国化に乗じて念願のオルサ地方をリッベントロップとイタリア外相チアノが創設した裁判所の判決で獲得に成功した。オーストリアとチェコの件が片づき、次はポーランドの番になった。ダンチヒの返還と本土と東プロイセンをつなぐ道路と鉄道の敷設、いわゆるポーランド回廊を要求してきた。第一次世界大戦後のヨーロッパはソ連と社会主義への恐怖から全体が右傾化していたから、ヒトラーへのアレルギーも比較的少なかったが、いざ今度は自分の番になり結局は英米かソ連に頼ることを余儀なくされた。しかし後手に回った代償は非常に大きかった………

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